永代経(えいたいきょう)として、永代経懇志をお納めいただいた場合、毎年のお寺での「永代経法要」にてお勤め致します。(もしくは故人の祥月命日に)
その際にはご自由にお参りできますので、故人を偲び、お元気なうちは是非お参り下さい。
心あるご門徒方は、亡き方をご縁として永代経を上げられるのが古くからの習わしです。
四十九日や、一周忌、三回忌、あるいは三十三回忌の際などに永代経を上げられる方が多いですが、時期に決まりはありません。
(永代経を上げたから法事をしなくてよい、これでおしまいということではありません)
永代経は「永代読経」の略で、子や孫たち、次の世代の多くの人々に、永代に渡ってお経が読み続けられ、仏さまの教え(仏法)が伝わっていくことを願うものです。(「永代祠堂経」と呼ぶ地域もあります。)
多くの場合、亡き方を縁として、永代経のご縁にあうことと思います。
永代経をお上げ(お供え)することは、次の世代の人々のために、「お寺や仏法を護る」ということにもなります。それは同時に、多くの人々に仏さまの教えが伝えられていく手立てともなります。
浄土真宗の永代経は、一般的にいう※永代供養(下部参照)という考え方よりも、もっと深い心が込められているものです。
「亡き方のために」と永代経をお上げするその心は、「亡き方のおかげさま」で多くの人々に仏法を伝える手立てへとつながっていくものです。
インターネットやテレビなどで、
と、紹介されることが多いようですが、これらはすべて私たちの都合のいいように意味合いが変わってしまったものです。
もともとは、心ある方々が、
「亡き方のために、私が元気なうちはお参りします。私が亡き後も永代にわたって供養が続きますように」とお参りをしていたものが、今の時代には「忙しいから永代供養しておいてください」と、「お寺に任せっきりにしてしまう」という意味に捉えられているように感じます。
お忙しい時代であるのは重々承知しておりますが、なんとも寂しい考え方です。
浄土真宗では「供養」とはいいませんが、本来の考え方には同じ心がそこにはあるように思います。
亡き方のためにとご縁を頂くなかで、私たちが仏法に出遇っていくことこそが本当の意味での「供養」といえるのではないでしょうか。
お寺としては、お元気なうちは、できる限りお参りをして頂くことが何よりのことと思います。
永代経は、第一には、故人を思う心、偲ぶ心がそこにはあろうかと思います。「亡き方のために」と思う心がそこにはあります。同時に「亡き方のおかげさま」と気付くご縁です。
亡き方が残された、大切なご縁として受け止めましょう。