定秀寺ホームページ概要

ここは、愛媛県松山市にある浄土真宗本願寺派のお寺、定秀寺のホームページです。

このホームページは定秀寺が管理しているもので、現在定秀寺に所属するご門徒(門信徒、檀家)向けに作成しました。

 

日頃、お寺にお参りされる方も、なかなかお参りするご縁のない方にも、少しでも役立つ情報を発信できればと考えております。

  

このウェブサイトをご覧になり、少しでもお寺にお参り頂くご縁が、手を合わせるご縁が深まっていくことを心より念じております。

 


定秀寺(じょうしゅうじ)は愛媛県松山市にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

山号を蓮華峯(れんげほう)、寺号を定秀寺(じょうしゅうじ)といいます。

 

  定秀寺は、河野通定と河野通秀が、天正元年(1573年)に旧北条市、中西の地の「蓮華室」と名付けられた屋敷において、お念仏の「み教え」を風早の人々に教化することから始まったと伝えられています。

 その後、居を柳原の地(旧北条市)に移し、寺号を「専光寺」と改めました。

 慶長十年(1605年)3月、松山城主加藤嘉明の招請により、海路の要所である三津浜(現在地)に、寺基を移転しました。

 

 

 寛永十年(1633年)4月、本願寺第十三代 良如上人から石山合戦における通定と通秀の功により、「定秀寺」の寺号を賜りました。

定秀寺についてはコチラから
定秀寺についてはコチラから

定秀寺 由緒

河野家の家紋の画像
河野家家紋(折敷に揺れ三文字)

北條鹿島城主、河野四郎左衛門尉通定、本願寺の実如上人に帰依し、蓮如上人の十字、実如上人の六字の尊を賜り中西館、別室を蓮華室と名付け安置、尊敬す。

 

元亀元年(1570年)本願寺顕如上人、織田信長と石山本願寺(現大阪城)にて対陣せし時、息、六郎左衛門通秀と共に籠城す。

 

天正元年(1573年)通秀出家得度し宗徳と言ふ。

 

天正四年(1576年)七月、毛利、村上氏、竹原長善寺門徒と共に織田氏水軍を大坂の木津川に破り大功ありと。

 

天正八年(1580年)石山合戦終結と共に国に帰り蓮華室を改め専光寺を設立す。

 

慶長十年(1605年)三月、松山城主加藤嘉明の招請により、現在地に移転入仏供養す。

 

寛永十年(1633年)四月十三日、本願寺より通定、通秀の功を末世に伝ふべしとて、定秀寺の寺号を賜ふ。   ※当寺二世宗玄代のころ

 

大銀杏は慶長十年来津のみぎり北條より移せしもの、樹齢三百九十年なり。